──会社の名前に込めた原点と誓い
株式会社ギルギルタウン。
どこへ行ってもまず聞き返されるし、よく笑われる。
一度聞いたら忘れられない名前らしい。
でも、この名前には、とても強い思い入れがある。
今日は、その由来と、そこに込めた思いを書いておきたい。
ケニアの片田舎「ギルギルタウン」
ギルギルタウンとは、東アフリカ・ケニアの内陸部にある小さな町の名前だ。
首都ナイロビからマタツ(乗り合いバス)で約2時間半。
舗装も途切れがちな道を揺られながら辿り着くその町に、私は19歳の夏にいた。
目的は、ロスチャイルドキリンの保護活動。
大学1年生の私は、なぜかその年、突然ケニアにいた。

野球に人生を捧げた少年
話は少し遡る。
6歳から高校卒業まで、私は野球一筋で生きてきた。
365日、白球を追い続けた。
大学でももちろん野球を続けるつもりだった。
リーグ戦でベストナインを取り、高校の体育教師になって野球部の監督をする。
そして、甲子園に出場する。
それが、18歳の私の夢だった。
側転で転けた受験と、真っ暗な部屋
センター試験は自己最高得点。
判定もAだった。
だが、まさかの体育実技で転倒した──シンプルな「側転」で。
滑稽だが、あの転倒が人生を変えた。
泣く泣く関西の私立大学に進学した私は、野球も辞め、何もかもを失った。
外に出るのが怖くなり、遮光カーテンを閉めて真っ暗な部屋で暮らした。
大学生活というより、ただの「停滞」だった。
YouTubeのアルゴリズムが人生を救った
そんなある日、真っ暗な部屋で見たYouTube動画が、私の人生を変えた。
野球の好プレー動画を見ていた時、関連動画に「カバの戦い」が出てきた。
当時はアルゴリズムもまだ緩く、なぜか唐突に現れたのだ。
18頭のライオンに囲まれた1頭のカバ。
絶体絶命のはずが、カバはリーダー格のライオンの頭蓋骨を嚙み砕き、
無傷で立ち去った。
その姿を見た瞬間、全身に電気が走った。
私は完全に心を持っていかれた。

カバに人生を導かれて
それから、関西圏の動物園を片っ端から巡った。
国際政治学のゼミ論文のテーマも「カバの生態」。
英語論文も読めないくせに、海外の映像資料まで漁った。
そして──私はついに、現地で本物のカバを見たいと思った。
その想いがピークに達した2014年7月。
岡山空港から飛び立ち、ケニアのナイロビへ。
その先にあったのが、「ギルギルタウン」だった。
Life Changing Place
サバンナで見た野生動物。
キリンの出産。
そして、念願の野生のカバとの遭遇。
全ての瞬間が、自分の中の何かを大きく動かした。
この場所で、人生の歯車が確実に噛み合い始めた。
それまで止まっていた時計の針が、急に動き出したような感覚だった。
まさに“Life Changing Place”。
ギルギルタウンは、私の人生を根本から変えた場所になった。

そして「株式会社ギルギルタウン」へ
帰国後、私はたくさんの国を訪れるようになった。
サバンナでレンジャー達が履いていた影響もあって、ジーンズが大好きになった。
大学卒業後は、もう一度アフリカに戻るために商社に就職し、
その後ジーンズブランドを立ち上げた。
ジーンズを通して人と人をつなぐこと。
世界のどこかで生きる誰かの夢を支えること。
今思えば、その全ての原点が、あのギルギルタウンにあった。
だからこそ、銭湯終わりに亮太と大樹と3人で会社名を考えていたとき、
私は提案した。
「ギルギルタウン、どう?」
2人としては、響きのみで即決だったらしいが、この名前には、
“もう一度あの原点に立ち戻る覚悟”と
“みんなでそこへ向かっていく希望”の両方が込められている。
遠く1万キロ先まで届く会社に
ギルギルタウンの村人たちは、よく「トヨタ!」「グッドカンパニー!」と言っていた。
世界中の人が「トヨタ」を知っているように、
私たちも、遠く1万キロ離れたギルギルタウンの人々に
「ギルギルタウン!」と呼ばれる存在になりたい。
そして近い将来、会社のメンバー全員であの町を訪れたいと思っている。
原点に戻り、そこからまた、未来へ進むために。
その時にはきっと、亮太が会社のドキュメンタリーを作ってくれるかな。



