巷で叫ばれる「心理的安全性」を体感したので記録する記事

大矢根 翼

会社員時代のブログ趣味が高じてライターになり、ライターの仕事をしていたら開発が楽しくなり、気付けばギルギルタウンでいろいろやっている。
いまだに「Twitter」「RT」「ふぁぼ」と言い募る守旧派。
趣味はクルマとサバゲーとPCゲーム。

こんにちは。大矢根です。
ビジネスの文脈では「エンゲージメントを高めるため」などの理由で「心理的安全性」という言葉がよく使われています。

「部下が報連相しやすいように、否定しないコミュニケーションをしましょう」的なニュアンスの記事を、皆さん一度は読んだことがあるのではないでしょうか。

僕も大枠には同意していて、そりゃあ素っ気ない態度で聞かれたり、頭ごなしに否定されたら話す気も聞く気も失せるってもんです。
ただ、これらって心理的安全性の必要条件ではあっても十分条件ではないように思うんです。

心理的安全性の必要条件と十分条件

のびのびとした活力のある職場を実現することが心理的安全性のミッションだとすれば、職場という場所と空間の二軸を持つ環境を、瞬間の「点」ではなく「線」や「面」としてとらえる必要があると思います。

よくアドバイスされている報連相を促進する声掛けや否定しないコミュニケーションなどは、具体的な方法論として重要ですが、同時に「点」の対策にとどまると考えています。

「点」での対策は心理的安全性を高めるための必要条件で、十分条件は点と点が線で繋がっている状態ではないでしょうか?

線で繋がっている状態とは、同僚が点と点を絶え間なく繋ぎ合ってくれている状態です。
具体例を出してみましょう。

「このプロジェクトはこんな風に考えるとトップライン増加に貢献すると思うんです」

と新人が言ったとき、周りが「それいいじゃん」と言ってくれる環境は新人にとって話し出しやすいですよね。

でも、上司が右も左もわからない新人に「じゃあKPIと施策作っといて」と丸投げしたらどうでしょう。
自分が言い出して周りに肯定されたばかりに、日々の業務に加えて自分の評価を損なうかもしれない責任が突然発生するのです。

もちろんKPIを設定して進捗管理するよう指示することは上司の大切な仕事です。
しかし、言い出しっぺに責任を押し付けると、ともすれば「裏切られた」ような感覚を生んでしまいます。

そんなときに必要なのは横から首を突っ込んできて「KPI作りなら俺が得意だから一緒にやろうぜ」と言ってくれる先輩だったり、「ミーティング後に進め方ちょっと話そうか」と言ってくれる上司です。

ある程度雑に投げ込まれたボールををトスしあってゴールまで持っていく気概がチームにあるか否か。
もっと単純化すれば、「おせっかい」なチームを構成できるか否かが心理的安全性の高い環境を作るための鍵になってくると思います。

「心理的安全性」の親は利他主義

先ほど心理的安全性の形成には「おせっかい」が必要だと書きました。
「おせっかい」は自分のリソースを割いて他人のために何かをしてあげようという感情の表れです。

おせっかいな仲間が時間軸をまたいでサポートしてくれると、点と点の心理的安全性が線で繋がります。
それが複数のプロジェクトにまたがれば面となり、理想的なモチベーションが会社を包むのではないでしょうか。

僕は「利他的な行動の積み重ねがチームビルドを後押しする」と考えています。
利他主義の極北は、本来背負う必要のないリスクを他人のために背負うことでしょう。

それでは利他的な行動の具体例を少し挙げてみましょう。

「こんな納期の引き合いがあるのですが、受託しても大丈夫ですか?」

と営業の人が言ったとき、ぶっちゃけキツい納期だと思いつつも、
「開発は任せてくれればいいから、追加費用の見積もりに1週間だけ時間を稼いでくれ」
と言ってくれる開発担当とか。

「Webサイトの機能で困ってるよ~」

とSlackでヘルプが上がったとき、自分の評価に関係がないプラグインを勝手に作ってくれる別部署の人とか。

平たく言えば「一肌脱ぐ」というこれらの行動。
無自覚にやる人は誰かのために一肌脱ぐことに抵抗がなかったり、一肌脱いている自覚がなかったりします。

僕も他人のために何かすること自体は好きなのですが、「明日PUBGのアップデートがあるから早く仕事終わらせたい」みたいな低次の欲望が強めなので「それ僕がやります(吐血)」みたいな感じで過ごしています。

とはいえ残念なことに利他主義は一朝一夕に身に付けられるものではありません。
利己的な人、ネットスラングで「テイカー」と呼ばれる人たちからは、折に触れてその気質がにじみ出てきます。

だから利他的な人と心地よく仕事をするためには、裏返せば、いかに利己的な人と関わらないかという話でもあったりします。

驚くほど利他的な人たちに囲まれた

すったもんだあって社会人生活に疲弊した僕を迎え入れてくれたギルギルタウン。
中に入り込んで仕事をしていると、みんな驚くほど利他的でした。

ちょっとした困りごとで電話をかければ

「それなら俺が○○さんに詳しい話聞いとくよ!」とか

「それは俺がやっとく」

みたいな回答ばっかり返ってくるんです。
すげえなと。あんたら最近めっちゃ忙しいだろと。

これほど利他的な行動が機能しているのは社内政治なんてものが発生しないほど小さな会社だからかもしれませんが、それ以上にカルチャーの影響が大きいと思いました。

ギルギルタウンではみんな自分が仲間のためにやってあげたことは黙ってるんです。ドヤ顔すればいいのに。
そうすると受益者が「○○さんがこれをやってくれてめっちゃ助かりました」みたいな話を定例会議で共有します。
それを聞いたみんながヘルプした人を評価して称賛する。

この流れが利他的な行動のサイクルを生んで、利他主義を強化しているんだと思います。

ぶっちゃけギルギルタウンは小さい会社だし、大企業の高単価案件をバカスカ受注しているわけでもありません。
だけど僕は自分の生き方として、ギルギルタウンに半生をベットしてみてもいいかなと思っています。

きっとそのキャリアはこれまで僕が送ってきた社会人生活の、どの断片よりも刺激的なものになるから。