ホンモノが価値を取り戻す時を待ち続けている

大矢根 翼

会社員時代のブログ趣味が高じてライターになり、ライターの仕事をしていたら開発が楽しくなり、気付けばギルギルタウンでいろいろやっている。
いまだに「Twitter」「RT」「ふぁぼ」と言い募る守旧派。
趣味はクルマとサバゲーとPCゲーム。

こんにちは。大矢根です。

皆さんはジョン・メイヤーの”Waiting On The World To Change”という楽曲をご存じでしょうか?
ジョンの官能的でテクニカルなギターに乗る歌詞は、イカれた世界を憂いながら正気がやってくるのを待つという内容です。

2006年に発売された名盤”Continuum”に収録されている同曲は、発売から20年近く経った今でも、いや、今こそ僕たちの世界観を揺さぶるメッセージを放ち続けています。

嘘と惨劇は文明の通過儀礼なのか

いきなりタイトルを落とすようですが、ホンモノや真実だけが尊重された時代など、人類史を通じて一度もなかったと思います。
確かに真実を追い求めた人はたくさんいたし、紛れもない傑作を生みだした巨匠は数知れず。
かたや免罪符を売りさばく教会や、平等を掲げて植民地を広げる政府の正義がホンモノだったとは、僕には到底思えません。

それでもズデーテンラントで止まると言ったヒトラーや、ありもしない大量破壊兵器を理由に滅ぼされたイラクを教訓に、人類は少しずつ同じ過ちを繰り返さない方向に歩みを進めてきたと信じています。

見出しに戻りましょう。
嘘は文明の通過儀礼なのか。

答えは「Yes」だと思います。
馬術が、手旗が、電信が、無線が、インターネットが、技術が前進するたびに新しい嘘のつきかたが生まれてきました。
それ自体を止めることはできません。

それでは惨劇も文明の通過儀礼なのか。

答えは「No, but」だと思います。
人間が生み出した道具が何を引き起こすかは人間が決めること。
その決定権を放棄することは、せっかく携えた知性や理性を放棄することと同義です。

だから僕は常に新しい技術に触れていたいし、知ることから逃げるわけにいかない。
知ること、声を上げることが自分の人間性を証明する方法だと考えています。

AIは嘘の時代をひとつ前に進めたに過ぎない

生成AIの登場で、嘘の年表には新たなページが追加されました。
文章が、イラストが、動画が田舎のスパコンで瞬間的に生成される時代です。
デタラメなプロンプトひとつでいくらでもコンテンツを作れます。

それを「破壊的なテクノロジー」だと叫ぶ人や「技術の民主化」だと喧伝する人。
何を言うのも自由ですが、僕はどうにもこの技術革新がきのう今日に始まったことだとは思えません。

出てきた技術を使い倒すことは別にいいことだと思います。
それがダメなら今でも日本人は2週間かけて東京から名古屋まで歩き、三合飯に沢庵を添えてかき込んでいなければいけません。

問題は生成AIという技術が生み出す流血と向き合う覚悟を決めている人があまり見受けられないことです。

もちろん特定の技術が戦争勃発の独立変数であるという乱暴な議論をしているわけではありません。
ただ、歴史の中で嘘を伝播する技術が流血を加速させたことは事実です。

嘘は国民の心に発破をかけ、正義感を戦争努力の糧にします。
ナチス政権には「宣伝省」という省庁がありました。
“1984年”ではジョージ・オーウェルが「真実省」を描きました。

ナチスが愛用したラジオや、ソビエト政権樹立に一役買った映画など、権力が嘘と正義と流血を混ぜ合わせ始めたらそれが合図です。

声は上げられるときに上げなければいけません。

なにもこの瞬間に生成AI反対運動を張れと言っているわけではありません。
むしろ生成AIを使い倒した方が良いと思います。

その中で「今の自分は世界を間違った方向へ進める力に加担してはいないだろうか」と考え、自分なりに思ったことを周囲の人と共有することが大切だと思います。

だから僕はこの記事を書いているんです。

だから僕は待っている

僕は自分の力で世界を変えられると思い込めるほど若くないし、そんなこと望んでもいません。
僕にできることの中から、自分の道徳と整合する選択を続けていくだけです。

SNSにはイラストレーターの画風をトレースしたAIイラストがあふれ、解説動画は合成音声だらけ。
コンテンツサイドの人間としても、いち消費者としても、コンテンツがこんなものばかりでは流石につまらない。

だから僕は小市民として「それつまんねえぞ」「嘘つくんじゃねえ」と小さな声を上げます。
そんな声が束になって、世界が今よりもイカれた場所になることを防げたらいいなと思っています。

僕は今日も仕事をしながら自分の半径5メートルの世界を守り、地球の裏側まで届くインターネットに自分のメッセージを乗せてバラまいています。

そうやってホンモノと真実を愛することが美しいと、正しいと誰もが胸を張って言い合える日が来るのを待っているんです。